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バイリンガルを求めている!

8月 18th, 2009

8月6日(木)の読売新聞に次のような記事が掲載されていました。
「外食産業 アジアへ」
(和民、吉野家、つぼ八、築地銀だこ、一風堂、デニーズ、大戸屋)
シンガポールに日本の外食産業が相次いで進出している。日本の外食市場は少子高齢化で先細りが懸念されるため、シンガポールを拠点に東南アジアやオセアニアへの展開に活路を求める狙いだ。居酒屋、ラーメン屋、イタリアンなど、種類も豊富。日本の「食」がアジアの中間層をどこまで取り込めるか、注目されそうだ。
照準は現地消費者
これまで和食は「高級料理」として、主に駐在や出張の日本人ビジネスマンを顧客としてきたが、ターゲットと位置づけるのは現地消費者だ。所得水準や健康志向の高まりで日本食は人気がある。中国や香港では「1日当たりの来店者数は日本の1.5~2倍」という。

日本における我々に身近な食産業さえも急速に近隣アジアへ進出している。そのことを考えても語学の堪能な人材が、如何に企業に必要か必然的に分かる。日本人の若者が英語や中国語を使いこなしアジア全土で活躍する日もそう遠く無く、日本国内で仕事を探すことにこだわらず、自分が必要とされる国へ行き仕事をする、そのようなリクルートスタイルになるのではと考えてしまいます。

2009/08/18

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思い出深い生徒

3月 3rd, 2009
今回は当校で学んだ生徒さんの中から、特に思い出深い方々に「外国語を学ぶことについて」のお話を頂戴しました。現在語学学習をしている生徒方、またこれからしようと考えている方々にとって大変貴重なアドバイスになると思います。

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私と言語(M.Aさん)
私が英語を言語として知ったのは小学校中学年の頃。日本語以外の言語の存在を始めて知った私が言語にただならぬ興味を持ったのもこの時からだった。それから英会話を習い、日本語以外を母語とする人達とコミュニケーションを図るための手段として活用してきた。英会話を通して、私は今まで知ることのなかった日本の外の世界に触れていった。自分とは違う、価値観・世界観・文化・宗教に様々な刺激を受け、海外へ対する興味を深めていった。
高校1年生の夏から約1年間、イギリスのウェールズに留学をした。ホームステイ先での生活や食事・宗教・住居などは日本とは違っていたが、不思議と「差」ではなく「違い」として受け入れることができた。ウェールズの人々はおおらかで、暖かくて、世話好きな人が多い。いろんな方々に出会い、お世話になった。文化的・宗教的考え方の違いが少しはあるものの、ボーイフレンドの話をする友達やお孫さんのことを嬉しそうに話しているおばあちゃんの姿は日本と何も違いはなかった。
英語を学ぶことはもちろん目的の大きな柱であったが、触れたことのない文化を知る、彼らと生活を共にすることによって学ぶべきことは多かった。また、スペイン人やフランス人とも一緒にホームステイをしたことによって英語圏以外の文化も少しだが触れることができたのは貴重だった。英語以外の言語にも興味を持つきっかけともなった。
こうして1年間の留学生活を終え、更に言語の持つ広い世界に興味を持った私は進学先に東京外国語大学を選んだ。そして選んだ言語は英語でもなく、留学中に学び始めたスペイン語やフランス語でもなく、インド・パキスタンの公用語であるウルドゥー語。大学中に何の言語を学んだのかを、よく聞かれるが、答えるとほとんどの人が必ずもう一度聞き返すほどのマイナー言語である。だが実はこのマイナー言語はマイナー言語でありながら、話者人口が世界第4位なのである。その上、BRICsのひとつであるインドの公用語でもある。
在学中にはこれでもかというくらいインド・パキスタンにどっぷりと浸かり、パキスタンに1年留学、また文化交流の一環として、「はだしのゲン」をウルドゥー語へ准教授が翻訳、核保有国であるパキスタン・インド両国での公演を果たすことができた。
こうして私の人生を振り返ってみると英会話を学び始めて以降ずっと言語に触れて生きてきた。言語は私にとって多くの人とコミュニケーションをとる「手段」のひとつであるが、たかが「手段」、されど「手段」である。言語は私が様々な文化・人々・宗教に触れるチャンスを広げ、私に多くの可能性を与えてくれる。何より私にとって多くの人と出会い、会話をし、刺激を受けることはとても楽しい。
言語は人と人とをつなぐ「架け橋」のようなものである。今後もその「架け橋」を出来るだけ多くの人と作るために、大切に楽しく学んで生きて行きたいと思う。

2009/03/03

毎朝台湾より・・・

私が44年前に知り合った台湾の友人からLINEで2年前より毎朝中国語の挨拶が送られて来ます。内容は健康の大切さがほとんどですが、とても納得する言葉が多いです。特に年齢を重ねているせいか余計に感じます。もちろん今朝も送られて来ました。

翻訳すると:

お早うございます

人生で最も美しいものは

風景ではなく良い心です

中文挨拶01.jpg

2018/12/06

シャロンランゲージスクール

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「kodomo」

4月 14th, 2008

批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られた大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛を受けた子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世の中の愛情を 感じとることを おぼえる

「スウェ-デンの中等教科書」より

2008/04/14

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report 2  出発&モンタナでの4ヶ月
9月 1st, 2001
Hello! How are you doing?
今は、やっとバレーボールのシーズンが終わって、忙しさからかいほうされつつあります。今回のreportは出発前の事とカナダ留学前に行ったモンタナでの4ヶ月研修の出来事をお伝えします。
留学が決まった後はバタバタして、とりあえず日本の高校も受験するために一応、受験勉強らしいものもしたんだけど、自分の心の中では「絶対に3年間高校留学するぞ!」って決めちゃってたから、他の科目はそっちのけで英語のことばーっかり考えてた。英語のテープを聴いたり、自分でぶつぶつ一人英会話したり。もちろんシャロンの英会話で実際に先生と喋ることはとても私のためになったと思う。
でもレッスンが終わった後はいつも「あー、今日も話せなかったー!」って車の中でお母さんにグチをこぼしてた。まあ、すぐに忘れちゃうんだけどね。そうこうするうちに高校受験の日が来て、無事合格!学校に行くつもりはなかったんだけど入学式の時に出会った人たちと少しでも一緒に過ごしたいという気持ちになって結局留学までの10日間だけ通ったの。短かったけどすごく楽しい高校生活を満喫できたよ。そして、いよいよ運命の4月26日。出発の日。友達が朝早いのに家まで見送りに来てくれて感激!そしてお父さんも目に涙を溜めながら「頑張れよ!!頑張れよ!!」って何度も言ってくれた。最後にお父さんと固い握手をして車に乗り込んだの。お母さんと親戚の人何人かは空港まで見送りにきてくれて空港でみんなそろって抱き合った。私は、寂しさよりもこれからの海外生活に向けての期待の気持ちが大きくて涙を流すことはなかったな。モンタナでの新しい生活はとても新鮮で、新しい友達に家族(ホストファミリー)、すべてが希望に満ちてキラキラ輝いて見えた。
モンタナ大学の一角で授業を受けたんだけど、まず最初にクラス分けのテストを受けたの。(後でわかった事だけどそのテストで私はなんと1番だったんだって!)4ヶ月研修は全部で20人くらいだったから毎日合う内にみんなすぐに仲良くなって、特に同じく徳島から来てた女の子と私はBest Friendになったの。
授業は毎日朝8時~正午12時で金曜日には毎週field Trip、週末は家族と過ごしたり友達の家に泊まりに行ったりで大忙し。私とそのベストフレンドは二人だけでいるときは出来るだけ英語で話そうって、ルールを決めてたから多分他の研修生より少しだけ英語を話す時間を増やせたように思う。授業もすごくユニークで、野外授業やバドミントン大会、ブーメラン遊びなんかもあってすっごく楽しかった。
Field Tripは特に楽しくて、泳ぎに行ったりハイキングしたり、乗馬、ラフティング、その他いろいろモンタナでしか体験できないようなこともたくさん出来た。そんな中で一番思い出に残っているのは最後の週に友達と友達のホストファミリーと一緒に行った天然温泉。川が温かい事にびっくり!!!
そんな貴重な体験をすると共に私の英語も上達して、充実した4ヶ月間はあっと言う間に終わってしまったの。モンタナ最後の日には、いつも一緒に遊んでいて家族同然になったホストブラザーのエリックが私のために泣いてくれて・・・日本を発つときには涙を流さなかった私だけど、カナダへ飛ぶ飛行機の中では彼等のことを思いながら一人ですごく泣いてしまった。

(完)

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report 1 留学準備奮闘記
5月 1st, 2001
はじめまして。XXXXです。
私は今、アメリカのモンタナでハイスクールに通っています。第一回目の今日は、私が何故留学しているのか、語学に興味を持ったのかということを書きたいと思います。
私がシャロンランゲージスクールに通いだしたのは、確か小学生の高学年。妹と、妹と同じ歳のいとこ、知り合いのお兄ちゃんと一緒に家でシャロンの出張レッスンを受けてたの。でも、まだ小学生だったから文法はもちろん、単語すらあまり知らなくて英語でコミュニケーションをとることに、すごく苦労したことを覚えてる。ほとんど全てボディーランゲージで会話していたんだけど、それがすっごーく嫌で、先生が部屋の前まで来ているにもかかわらず、押入に隠れてレッスンをズル休みしたこともあったな~。その時は、レッスンが英語の勉強になるとは思えなかったんだけど、今考えてみると日本語を話せないシャロンの先生と身振り手振りでした必死の会話が、英語の基礎になってると思う。それだけじゃなくて、海外生活の基礎にもなってると思う。
中学生になって一度はシャロンをやめようかなって考えたこともあったんだけど、やっぱり、どうしても英会話を好きな自分がいて「いつかは留学したい」って思うようになった。そのころ留学に関する本も色々読んで(「みちるのアメリカ留学記1・2」「あの娘は英語がしゃべれない!」など)どんどん留学に対する夢が膨らんで絶対に留学しよう!!って心に決めたの。中学2年の頃には色々資料を集めていたけどインターネットの資料請求の他には何をしたらいいのか全然わからなくて「留学の1年半前には準備を始めなければならない」っていう記事をみてからは益々焦り初めて「どうして私がこんなに頑張ってるのにママは何もしてくれないの?」って母親に気持ちをぶつけたりした。それまでママは私が留学したいってそこまで真剣に考えてるとは知らなかったみたい・・・。(意思の伝達は日本語でも難しい?!)

その日以来、両親が一緒に留学の準備をしてくれたおかげで、順調に進んでPIEE(国際教育交流教会)で留学することに決定。しかし!!!行き先が~!!!私は絶対にアメリカに行くって心に決めてたのに、どうしても両親が許してくれなくてカナダに決まってしまったの。カナダに行く前に英語研修(必須)で4ヶ月だけはアメリカに行けるんだけどね。)両親の希望もあって日本の高校も一応入学してから留学することになって大忙し。 (PIEEは留学中に海外で取った単位も日本で取ったのと同じようにカウントされます。)
とにかく、色々有ったけど全ての難関をクリアして4/26、ついに私の留学生活が始まったのでした。

to be continue…(続く)